■ギターの音について (カルロス・ボネル編)
   

ギターをはじめた時、最初にコンサートで聴いたのが、今はなきスペインの巨匠ナルシソ・イエペスの演奏であった。ギターをはじめたばかりの自分にとって、そのときの衝撃はすごかった。ギターという楽器はあんなに大きくて、すばらしい音が出るのか・・・・。そのときからギターから離れられなくなった。イエペスは4年おきくらいに来日していたので、その度に必ず聴きに行った。亡くなるまでに20回ほど聴いている。

当時のイエペスの演奏は本当にすばらしかった。イェペスを最初に聴いたとき私は13才だった。当時、多くの外人ギタリストが来日したが、最初に聞いた演奏があまりにもすごかったので、それ以来、あまりギターの演奏に感動することはなかった。しかし、最初にイエペスを聴いた数年後、クリストファー・パークニングがロドリーゴと共に来日したが、彼もすごかった。セゴヴィア譲りといわれるすばらしい音で聴衆を魅了した。ロドリーゴフェスティバルということで、アランフェなど弾いた。・・・もちろんノーマイクである。それからは常に、ギターの音質と音量とについて考えてきた。

私は、24才の時デビューリサイタルを行い、その後イギリスへ留学した。その時、出会ったのが、カルロス・ボネールだった。彼の音を聞いたとき「これが世界で通用する音だ・・・」と思った。それから短い期間だったがカルロスに師事することになった。

最初のレッスンの時はとにかくショックだった。留学前のリサイタルでは・・・楽器もよく鳴らし良い音だと評価されたのだが・・・。その少しばかりの自信はすぐに打ち砕かれた。カルロスの音と自分の音を比較すると全然違うのだ。「おまえの音は痩せている・・・」の一言だった。私がギターを構えカルロスが傍らにきて私のギターの音を出して見せる・・・確かにまったく違った。アポヤンドも、アルアイレも、太い音で違いは全くない。
 
某雑誌に某ギタリストが、所詮アルアイレとアポヤンドは違うのだから・・と書いていたが・・そう決めてしまっては結局そのレベルでしか演奏できない。

 カルロスの最初のレッスンでは・・・ima の、音出し(タッチ)の練習だけ、半年くらい続けるように・・・と言われた。それまでとにかく自分なりに一所懸命練習を積んできたが、このカルロスの一言は本当にショックだった。しかし今ではそのときのレッスンは本当によかったと思う。本当に感謝している。
 彼は1949年生まれで、私より5歳上である。彼は王立音楽院(ロイヤルカレッジ)始まって以来最年少(20歳)で教授の任に着いた。彼は決して派手なテクニックはないが音と言う最高のテクニックを持っている。私が彼に師事していた時、個人的に師事していたのは私と、アメリカ人の二人だけであった。だから時間もたっぷりと、そして熱心に教えてくれたのだと思う。
 
習い始めて数ヶ月が過ぎた時、ようやく何か曲をやってみようと言うことになった。思ったよりも早く弾き方がよくなったと言うことだった。嬉しかった。その後は帰国するまで多くの曲を見てもらい、この時期に自分の骨格ができたと思う。日本で師らしい師を持たなかった私は現在でもカルロスが私の師だと思っている。1年が過ぎた頃、事情で帰国することとなったが、その後は数年おきに彼を訪ねている・・・留学を終えて10年が経った頃受けたレッスンのときに、カルロスが「Congratulation・・・。お前の音は世界で通用する音になった・・・」と言ってくれた。この時ほど嬉しかったことはない。      

A・セゴヴィアについて

とりあえず音は身に付けた。それは同時に、音楽の一番大切なものを身につけたのだ・・・ということを感じた。考えれば、ギターにとって、良い音を出すことが何よりも大切だと言うことがわかるはずなのだが、最近は、音がなおざりにされて、打楽器的にバシャバシャと弾く傾向が強い。せっかくセゴヴィアが、ギターを芸術の域まで引き上げてくれたのに・・・ギターが、また唯の民族楽器に戻ってしまうのか・・・。嘆いているのは自分だけか・・。

1978年10月20日【金】午後8時・・・イギリス留学中にセゴヴィアのリサイタルを聞いた。素晴らしかった。今でもあの時の感動は鮮明に記憶にある。翌日にはカルロスとその仲間たちが素晴らしかったと話し合っていたことが記憶に残っている。『マエストロもまだ元気だ・・・昨日はほんとに良かった・・・』と。その時のプログラムも残っていて、たまにその時のことを人に話したりする。2000人くらい入るロイヤルフェスティバルホール・・・もちろんセゴヴィアがマイクを使うはずがない。決して大きくはないギターの音・・・しかし不満はない。

留学中は毎週のようにコンサートに行った。女王の援助があるコンサートも多く、席にこだわらないのなら安く、しかも一流の演奏家のコンサートが聴けた。多くのジャンルにわたって聴けたことが、この時の大きな収穫であった。決して長い期間の留学ではなかったが、多くの大切なことを勉強させてくれた両親に感謝している。

■ギターの音について (ペペ・ロメロ編) 


帰国してから何年か後にペペ・ロメロの演奏を聴いた。最初に彼の演奏を聞いたのは、ロス・ロメロスで一家で来日したときのことである。このときのペペの演奏は本当に自分にとって衝撃的だった。ペペは、すばらしく綺麗な魅力ある音で、そして目のさめるようなテクニックを披露してくれたのだ。しかも、あの2000人収容のホールで豊かな音量・・・。

そんなことがあってから4年後ヨーロッパ旅行中に、ペペに会うチャンスがあった。旅行の最後にH・ハウザー宅に寄ったときのことだ。二日後のH・ハウザー宅のペペ・ロメロのホームコンサートに招待された
 ところでこのホームコンサートだが・・・考えてみれば贅沢な話であった・・・。あこがれのぺぺの演奏が、まじかで聴けるのだ・・すぐそこで・・・
ペペが弾いている。50分くらい弾いてくれた。観客はわずか5人・・・。

彼は昼ころ表れ、軽く指慣らしをした後でいきなりジュリアーニの「おいらはキャベツづくり・・・」を弾き出した。日本で聴いたときの感動がよみがえった。その本人が目の前で真剣に弾いているのが夢のようだった。

ペペの音は美しく魅力的な音だ。そして大ホールに於いてもその音質は損なわれることなく、そして音量が豊かなのだ。・・・それが日本で聴いたときの印象だった。大演奏家に於いて音が美しいのは当然である。その上彼の場合どんな大きなホールでも聞こえるという音量がある。・・・そんなことを思いながらこのコンサートを聞いた。

まじかに聞いたペペの印象はステージで聞くそれとは少し異なっていたが、このときの彼の演奏もまた私に非常に大きな影響を与えた。非常に重要なことを学んだと思う。
自分にとって、この時の事が次への大きな研究課題となった。

さて、ハウザーのところで聴いたぺぺの音だが・・・どう表現したら良いのか・・・とにかく密度の高い音だった。重量感のあるというか・・・。このときの音は今でもはっきり覚えている。自分の音の出し方も、これを機に少しずつ変化したようである。自分の手とペペの手を比べたりしたが、大きさはほぼ自分と同じ・・・。

そんなことがあってからペペとは、親交を持つようになった。これまでに何度も彼の自宅へ訪れ、その都度重要なアドバイスを受けた。

99年12月には日本での初リサイタルを東京オペラシティーコンサートホールで行ったが。その実現に大きく寄与できた事は名誉である。

コンサートの前々日には貴重な公開レッスンがあった。受講生は彼のレッスンをどう受け止めたのだろう・・・。彼のレッスンはほとんど音の出し方に終始していた。いい音を出す難しさ、そして、それを追求してこそギターを弾く醍醐味があるのではないだろうか。悪い音なんか聞きたくない。他の楽器の奏者に「うまい人って・・・」と聞くと「いい音を出す人。」と、即座に返事が返ってくる。

セゴヴィアをはじめとする巨匠たちは素晴らしい音を持っている。それが巨匠の巨匠たる所以だと思う。

ペペと2重奏を楽しむ

ハウザー宅で

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